システム開発業における競業避止義務の限界~エンジニアの退職後競業避止義務を否定した裁判例(東京地判令和7年5月30日)~

よくある相談
- エンジニアが退職後、同業のシステム開発会社に転職した場合、就業規則に定めた競業避止義務を理由に、差止めや損害賠償を請求することはできますか?
- 就業規則で「退職後2年間、競業他社への就職を禁止する」と定めていますが、システム開発業やエンジニア職に対しても有効といえるのでしょうか?
- 営業職向けの雛形をそのまま用い、エンジニアにも一律に競業避止義務を課していますが、職種の違いはどの程度考慮すべきでしょうか?
事案の概要ー東京地判令和7年5月30日(以下「本判決」といいます。)
本件は、システム開発業を営む会社が、退職した元従業員であるエンジニアに対し、退職後の競業避止義務違反を理由として損害賠償を求めた事案です。
原告会社の就業規則には、「従業員は在職中および退職後2年間、会社と競業する企業への就職や関与をしてはならない」との競業避止条項が定められていました。
被告は原告会社を退職後、同じシステム開発分野に属する別会社に転職し、原告在職時と同様、取引先においてエンジニアとして業務に従事していました。
これに対し原告会社は、当該転職行為が就業規則に定める競業避止義務に違反すると主張し、逸失利益相当額の損害賠償を請求しました。
本件では、就業規則に基づく退職後の競業避止義務が有効といえるか、特にシステム開発業におけるエンジニアという職種の特性を踏まえ、当該制限が合理的な範囲にとどまるかが争点となりました。
本判決の解説ー競業避止義務を無効と判断
1. 競業避止義務の考え方
本判決では、退職後の競業避止義務の有効性について、「労働者に対し、その退職後も競業避止義務を課すことは、労働者の職業選択の自由(憲法22条)を制約し、その生計の手段を制限するものであるから、就業規則による競業避止義務が有効であるといえるためには、これにより守られる使用者の利益に照らし、労働者が負うとされる競業禁止の内容が、必要かつ合理的な範囲内にとどまっていることが必要であり、当該範囲を越える場合には、当該義務は公序良俗(民法90条)に反し、無効となると解すべきである。」と判示しました。
2. 本件における競業避止義務の有効性
そのうえで裁判所は、「本件競業禁止規定は、競業企業への直接又は間接的な関与を禁止するものであるが、競業の範囲や関与の程度に関し、何らの制約もなく、禁止される行為の範囲が広範にわたっていると解さざるを得ない。」と述べ、競業行為の範囲が過度に広い点を問題視しました。
また、競業避止義務の期間についても、「その義務を負う期間は2年間であるところ、システム開発の分野での技術革新の程度が著しいことからすれば、競業を禁止されることにより被告が負うこととなる不利益の程度は相当に大きいといわざるを得ない。」とし、システム開発業・エンジニアという職種特性を踏まえれば、2年間の就業制限は労働者にとって極めて重い不利益になると評価しました。
さらに裁判所は、競業避止義務に見合う代償措置の有無についても検討し、「被告の原告における給与額は月額47万円であるところ」、「これが同種他企業と比較して、競業を禁止されることによる代償措置として十分な程度に高額であるか明らかでないばかりか、原告では退職金も支給されないこととされている」 として、競業避止義務による不利益を補う措置が十分とはいえない点を指摘しました。
加えて、裁判所は、競業避止義務によって保護すべき会社の利益の有無についても判断を行い、 被告は、一般のエンジニアとして派遣先業務に従事していたにすぎないことから、「原告が本件競業禁止規定により守られる利益であると主張する、取引先との取引に必要な取引先のシステム情報や取引先との取引価格等の機密情報を被告が知るに至ったと認めるに足りる的確な証拠もない。」と述べ、競業避止義務を課してまで守るべき具体的利益が立証されていないとしました。
これらを総合考慮し、裁判所は、「本件競業禁止規定により守られる原告の利益に照らし、被告が負うとされる競業禁止の内容が、必要かつ合理的な範囲内に収まっているとはいえず、本件競業禁止規定による競業避止義務は、公序良俗に反し、無効というべきである」と結論付け、会社の請求を退けました。
本判決が競業避止義務を無効と判断したポイント
ポイント①競業避止義務の内容が過度に広く、制限の範囲が不明確であったこと
本件の競業避止義務は、「競業企業への直接又は間接の関与」を一律に禁止する内容であり、競業の範囲や関与の程度について、具体的な限定が一切設けられていませんでした。
また、禁止期間も「退職後2年間」とされており、技術革新のスピードが極めて速いシステム開発分野においては、エンジニアに課される制約として相当に重いものであると評価されました。
このように、ア)対象となる競業行為の範囲、イ)関与の態様(どの程度の関与まで禁止されるのか)、ウ)禁止期間、エ)競業の範囲について地理的限定も含めた具体的な制約が設けられていなかった点が、いずれも広範かつ曖昧であり、職業選択の自由を過度に制限するものとして問題視されています。
ポイント②競業避止義務に見合う代償措置(補償)が認められなかったこと
裁判所は、退職後の競業避止義務を課す以上、それに見合う代償措置が講じられているかどうかを重要な判断要素としました。
本件では、被告の給与(月額47万円)が、競業を禁止されることによる不利益の代償として十分に高額であるか明らかでないことに加え、退職金の支給も予定されていない点が指摘されています。
その結果、競業避止義務によって生じる重大な不利益を、労働者に一方的に負わせているとして、当該競業避止義務の合理性が否定されました。
ポイント③会社が保護すべき具体的な利益(機密情報等)が認められなかったこと
原告会社は、取引先のシステム情報や取引価格等の機密情報を保護する必要があると主張しました。
しかし裁判所は、被告が一般のエンジニアとして派遣先で業務に従事していたにすぎないこと、また、重要な機密情報を実際に知り得たことを裏付ける証拠がないことを踏まえ、競業避止義務によって保護すべき具体的な企業利益は認められないと判断しました。
守るべき利益が明確でない以上、それを理由に退職後の就業や転職を制限することは許されないとされた点が、本判決の重要なポイントです。
競業避止義務は、退職後の就業や転職といった労働者の生活基盤に直接影響する強い制約であるため、裁判所は「契約書や就業規則に定めがあるから直ちに有効」とは判断しません。
労働者の職業選択の自由とのバランスを強く意識しつつ、競業避止義務の内容、期間、代償措置の有無、保護すべき企業利益の具体性などを総合考慮して、その合理性が判断されるのが実務の考え方です。
競業避止義務とは?-競業避止義務の有効性の判断基準-
競業避止義務とは、労働者が在職中または退職後に、勤務先と競業関係に立つ行為を行わない義務をいいます。とりわけ問題となるのは退職後の競業避止義務であり、これは退職後の就業や転職といった働き方を直接制限する点で、労働者の職業選択の自由(憲法22条)との関係が強く意識される分野です。
本判決が示すとおり、裁判所は「契約書や就業規則に定めがあるから直ちに有効」とは考えず、競業避止義務によって守られる会社の利益や、課される制限の内容が合理的な範囲にとどまっているかを慎重に検討したうえで、その有効性を判断します。
競業避止義務の有効性は、一つの要素だけで決まるものではなく、複数の事情を総合的に考慮して判断されます。実務上、特に重視されるポイントは次のとおりです。
① 会社側に守るべき「正当な利益」があるか
まず重要となるのが、会社側に、競業避止義務によって保護すべき正当な利益が存在するかという点です。
例えば、長年かけて築いた顧客基盤、外部に漏れると競争力を失う独自のノウハウや技術情報、取引条件や価格情報といった営業上の機密などが典型例です。
一方で、本判決が示すように、単に「同業他社に行ってほしくない」「人材流出を防ぎたい」といった抽象的な理由だけでは足りません。特に、一般のエンジニアとして派遣先業務に従事していたにすぎず、実際に重要な機密情報に接していたとはいえない場合には、競業避止義務によって守るべき具体的利益が否定されやすい点に注意が必要です。
② 競業避止義務の内容・範囲が合理的か
次に問題となるのが、競業避止義務の内容が過度になっていないかという点です。裁判所は、主に次のような観点から制限の重さを検討します。
- 競業を禁止する期間が長すぎないか
- 競業の範囲や関与の態様が具体的に限定されているか
- 実際に競業関係にある業務内容に絞られているか
本判決では、「競業企業への直接又は間接的な関与」を一律に禁止し、競業の範囲や関与の程度について具体的な限定がない点や、退職後2年間という比較的長期間の制限が、システム開発分野における技術革新の速さを踏まえると、労働者にとって過度に重い制約であると評価されました。
実務上は、必要最小限の範囲に絞られているかどうかが、有効性判断の大きな分かれ目となります。
③ 競業避止義務に見合う代償措置(補償)があるか
競業避止義務によって退職後の就業が制限される以上、その不利益をどのように補填しているかも重要な判断要素となります。
具体的には、競業避止期間中の補償金や手当の支給、退職金への上乗せといった金銭的補償が典型例です。
本判決では、給与水準や退職金制度の有無を考慮しても、競業避止義務による不利益を補うだけの代償措置が講じられているとはいえないと判断されました。
必ずしも高額な補償が必要とされるわけではありませんが、代償措置が一切なく、長期間・広範囲の制限を課す場合には、無効と判断されやすいのが実務の傾向です。
④ 対象となる従業員の立場・職務内容
さらに、競業避止義務の有効性は、対象となる従業員の立場や職務内容によっても左右されます。
管理職や経営に近い立場にある者、顧客との直接的な接点を持ち、会社の営業活動や事業の中核を担っていた従業員については、競業避止義務が認められやすい傾向があります。
一方で、本判決のように、在職期間が比較的短く、一般のエンジニアとして業務に従事していたにすぎない場合には、職務内容との関連性が乏しいとして、競業避止義務を課す合理性が否定されやすくなります。
有効・無効の整理(実務的な目安)
以上を踏まえると、競業避止義務の有効性は、次のように整理できます。
【有効と判断されやすいケース】
- 守るべき具体的な会社の利益が明確である
- 期間・範囲・業務内容が必要最小限に限定されている
- 一定の代償措置が講じられている、または制限が軽微である
- 対象者が顧客や営業・技術情報に深く関与している
【無効と判断されやすいケース】
- 守るべき利益が抽象的・不明確である
- 制限期間や競業範囲が過度に広い
- 補償が一切なく、労働者の不利益が大きい
- 職務内容との関連性が乏しい
本判決が示すように、競業避止義務の有効性は「条文があるかどうか」ではなく、会社の正当な利益、制限内容の合理性、代償措置の有無、従業員の立場や職務内容といった事情を総合的に見て判断されます。
企業としては、「とりあえず入れておく条文」ではなく、なぜ必要なのか、どこまでなら許されるのかを意識し、将来の紛争を見据えて設計・運用することが重要になります。
本判決から考える実務上の注意点・ポイント
注意点・ポイント①職種・業界特性を無視した一律の競業避止義務は通用しにくい
本判決は、システム開発分野における技術革新のスピードや人材の流動性を踏まえ、エンジニアに対して広範な競業避止義務を課すことは、労働者の職業選択の自由を過度に制約するものとなりやすいことを明確に示しました。
この点からすると、営業職向けに作成した雛形をそのままエンジニアに適用したり、職種や立場を問わず全従業員に同一内容の競業避止義務を課したりする運用は、実務上、大きなリスクを伴います。
競業避止義務は、業種・職種・業務内容に応じて必要性や制限の程度を個別に検討し、画一的ではなく設計することが不可欠です。
注意点・ポイント②労働者の不利益を緩和する仕組みのない競業避止義務には高いリスクがある
本判決では、競業避止義務の内容が広範であるにもかかわらず、それに見合う代償措置(補償)が講じられていない点も、無効判断の重要な要素とされました。
競業避止義務を課す以上、退職後の補償金の支給、制限期間の短縮、対象業務や競合範囲の限定など、労働者の不利益を緩和する仕組みを併せて設けることが強く求められます。
こうした配慮を欠いた競業避止義務は、実際にトラブルが生じた場合、裁判で否定される可能性が高いことを前提に、人事制度や契約内容を設計する必要があります。
注意点・ポイント③就業規則だけに依存せず、誓約書による明確化を検討する
本判決では、競業避止義務の根拠が就業規則にしか存在せず、入社時や退職時に個別の誓約書が取得されていなかった点も、企業側にとって不利な事情として位置づけられました。
競業避止義務は、退職後の行動を制限し、職業選択の自由に直接影響する性質の強い義務であるため、「就業規則に書いてあるから当然に拘束される」という整理は通用しにくいことが、本判決からも読み取れます。
実務上は、入社時に競業避止義務の内容を明示した誓約書を取得することに加え、退職時にも、改めて競業避止義務の内容・期間・範囲を確認する誓約書を取得することが重要です。
とりわけ退職時誓約書は、競業避止義務が現実に問題となり得るタイミングで本人の認識を明確にし、後日の「聞いていない」「そのような制限とは思っていなかった」といった反論を防ぐという点で、実務上の有効性が高い対応といえます。
まとめ|競業避止義務は「前提として有効か」がまず厳しく問われます
本判決は、退職後の競業避止義務について、違反の有無や損害の問題に進む以前に、そもそも当該競業避止義務が有効といえるのかが厳しく審査されることを明確に示しました。
本件では、就業規則に競業避止条項が定められていたものの、その内容が広範かつ抽象的であり、エンジニアという職種特性やシステム開発業界の実情を踏まえると、職業選択の自由を過度に制約するものとして、公序良俗に反し無効と判断されています。
その結果、裁判所は、競業避止義務違反の有無や損害の発生・額について判断するまでもなく、会社の損害賠償請求を退けました。
この点は、競業避止義務に関する紛争において、まず「有効な競業避止義務が存在するか」という前提段階で結論が出るケースが少なくないことを示すものといえます。
本判決から読み取れる実務上の重要な示唆は、次の点にあります。すなわち、競業避止義務は、
- 会社が守るべき具体的な利益が何であるのか
- その利益を守るために、当該制限が本当に必要か
- 期間・競業範囲・関与態様が、業種や職種の特性に照らして合理的か
といった点を具体的に説明できなければ、就業規則に定めがあるだけでは有効性が否定され得るということです。
特に、システム開発業のように技術革新が速く、人材の流動性が高い分野においては、エンジニアに対して一律かつ広範な競業避止義務を課すこと自体が、強い無効リスクを伴います。
競業避止義務は、「後から違反を追及するための条項」ではなく、そもそも有効と評価される内容になっているかを、設計段階で慎重に検討すべき制度であることを、本判決は改めて示しています。
実務対応に向けて
競業避止義務をめぐっては、「就業規則に定めがあるが本当に有効といえるのか」「自社の業種や職種を前提に、どこまでの制限が許されるのか」「そもそも競業避止義務を設ける必要があるのか」といった点で判断に迷われるケースが少なくありません。
競業避止義務は、形式的に定めているだけでは実効性を持たず、内容が広すぎれば無効と判断されるリスクがあります。だからこそ、紛争が生じてからではなく、設計や見直しの段階で専門的な検討を行うことが、企業リスクの最小化につながります。
競業避止義務の設計・見直しや退職者対応でお悩みの際は、弁護士法人かける法律事務所までお気軽にご相談ください。本判決を踏まえ、貴社の業種・職種に即した実務的な対応についてアドバイスいたします。
当事務所の主なサポート内容
弁護士法人かける法律事務所では、競業避止義務に関し、次のような実務支援を行っています。
- 競業避止義務条項(誓約書・雇用契約書・退職時合意書)の作成・見直し
- 期間・範囲・業務内容の合理性に関するリーガルチェック(有効性リスクの整理)
- 代償措置(補償)の要否や設計に関するアドバイス
- 競業避止義務違反の成否、損害立証の見通しに関する事前検討・リスク分析
- 退職者への警告書送付・交渉対応(任意解決に向けた整理)
- 損害賠償請求・差止請求に関する訴訟・交渉対応
「競業避止義務を定めたいが、どこまで許されるのか知りたい」
「退職者の転職が問題になりそうだが、対応してよいのか迷っている」
「すでに競業が始まっており、早急に法的対応を検討したい」
このような場合には、紛争化する前の段階でご相談いただくことが、企業リスクの最小化につながります。競業避止義務の設計段階から、退職時対応、退職後の紛争対応まで、実務に即したサポートを一貫して提供しています。
競業避止義務や退職後トラブルでお悩みの際は、弁護士法人かける法律事務所まで、お気軽にご相談ください。
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